子供は何をしても許されるべきなのか

生徒の保護者に2万円の支払いを要求され、それを拒否して自殺した40代の男性教師がいた。

授業の最中に、一人の男子生徒と隣の席の女子生徒が鉛筆を巡って喧嘩したのが事の発端だった。男子生徒は護身術を学んだこともあり、力を頼んで女子生徒を殴って泣かせ、それを見かけた教師は二人を引き離し、女の子に手を挙げたことを窘めては謝るように男子生徒を促した。教師が女子生徒の肩を持ったとでも思ったのだろう、男子生徒は不服そうに拳で教師の胸を強く打った。その衝撃で教師はのけぞり、あとずさりした。同じクラスの女の子を殴って泣かせた上に、教師にまで手を挙げることに、教師の堪忍袋の緒が切れ、興奮気味の男子生徒を抑えて厳しく叱責し、自分の席に戻らせた。

授業は引き続き行われたが、全く反省する様子もなく、一向に構わず平気な顔をして両足を机の上に載せて見せる男子生徒。これ以上授業の時間を無駄にしてはいけないと思った男性教師はそれを無視することにした。

ところが、教師のことを根に持った男子生徒は家に帰ると、昼間学校であったことを尾鰭を付けて家族に話した。男子生徒の話からすると、是非を問わない、何かにつけては学生に強く当たる悪い教師なのだと。そして自分の肩にある赤い痣は教師に討たれたものだと嘘をついた。それに何の疑問も持たずに、学校に出向いては説明を求め、挙句の果てには衆人環視の中で泣きわめく男子生徒の保護者に、男性教師は説明するものの、保護者はそれに耳を傾けようとせず、うちの子が嘘をつくはずがないと、体の傷がその証拠だと言い張る一方だった。その後、男子生徒の保護者は病院へ行って子供に検査を受けさせ、子供の体に外傷があることを証明できる証明書を申請した。しかし、各検査項目の指標は正常範囲にあり、体に異常はないという結果が出され、病院側がその要求に応じることはなかった。再び学校に戻った男子生徒の家族は、一連の検査にかかった2万円ほどの検査費用を男性教師に支払いを求め、クラス全員の前で自分の子供に謝ることを強要した。

いわれもなく悶着を起こす男子生徒の保護者に絶句し、世界観までもが崩壊してしまいそうになった男性教師は警察に通報した。事の一部始終を聞かされた警察は男性教師の側に非がないと判断し、事を荒立てることなく和解を勧めた。しかし、男子生徒の保護者は引き下がろうとしなかったし、当然教師も妥協しようとせず検査費用の支払いを拒んだ。それに応じることは、相手の言い分を認めるのと同じで、自分がやってもいないことで責任を取ることを意味するからだ。そして自分の教職生涯に拭いきれない汚点を残すことになる。

その後、男子生徒の保護者は政府機関や教育委員会に訴えはじめ、騒ぎ立てることで教師と学校側に圧力を加えた。

あらゆるプレッシャーに押しつぶされて男性教師はとうとう水中に身を投げて自殺した。教師としての尊厳や名誉を守るために、死んでも謝らないと死をもって自分の潔白を訴えたのだ。

やってもいないことで責められ、自分に非がないのに周囲の声に押されて頭を下げねばならない状況に、怒りを覚えただろう。自分の潔白を証明することのできない無力感に苛まれ、悔しく思ったに違いない。

こんな記事を読むたびにいつも思う。その人の状況や立場に立った時に、自分だったらどうするのかと。もちろん死んだりはしない。死んだことで、男子生徒とその家族は世間から強い風当たりを受けることになるだろう。しかし、それもほんのわずかの間だけで、人々の視線はすぐ別の場所に引き付けられ、一人の教師の死など、あっという間に忘れられてしまう。一方、男子生徒の方は、引っ越すなり転校するなりで騒ぎから身を引く方法などいくらでもある。当然、底意地の悪い悪魔のような子供と横暴理不尽でふてぶてしいその家族が良心の呵責に苛まれるはずもなく、それを期待するだけ無駄。結局、教師の死はさざ波が立った程度の役割しか果たせず、家族や身内の人を悲しませるだけだ。

どうせ死ぬなら、死ぬことも怖くないなら、それほどの勇気があるのなら、一か八か自分自身のために戦ってみろよ。そんな一人の教師の尊厳も守ってくれない学校なんて思いっきり止めちまえばいいじゃない!法的手段でどうすることもできないなら世論を動かしてその一家を社会的に葬ってしまえ!

人を雇って男子生徒の家やその家族の職場の周りで大騒ぎを起こしてやるのだ。その子が学校で同級生だけでなく教師にまで手を上げたこと。子供が家族に噓をついたこと。それを保護者が鵜吞みにして何の根拠も証拠もなく学校で騒いだ挙句教師を退職に至らしめたこと。いわば目には目を歯には歯をというやつだ。

ネットに晒して事実を公にすることで社会的制裁を受けさせることもできる。男子生徒の名前にわざと触れる必要はない。教師自身の名前とどこの学校でどのクラスかを言及するだけで十分だ。今時のネット民は賢い。それだけの情報があれば男子生徒の本名やその家族の情報を割り出すのにそう時間はかからないだろう。

事と次第によっては、男子生徒のこれからの進学先や就職先、彼の彼女もしくは結婚相手とその家族にまでその卑劣な過去を知らしめる。

子供相手にやりすぎなんじゃないかと、そう思う人もいるだろう。

確かに子供は心身共に未熟で、事の良しあしを見分ける能力が不十分だし、善悪の区別もまだはっきりついていない。しかし、程度の多寡はあるにしても、それは大人も同じだ。完璧な人間なんて存在しないし、人はどの年齢段階においても完全体とは言えない。後になって過去を振り返っては、あの時そうするんじゃなかった、もっとこうすべきだったと自分の行為を悔いたり反省したりする。人は自分のやったことに対して責任を取らなければならない。それは子供とて例外ではないはずだ。

この記事を読んだほかの教師たちはどんなふうに思うだろう。これからは学生の成績を上げることだけに力を入れ、それ以外のことに首を突っ込むのはやめよう。親身になって学生のことを思ったところで、学校が給料を上げてくれるはずもなく、保護者達に感謝されるわけでもない。当たり前だと思うだろうし、逆に学生の身に何かあったら批判の矛先は真っ先に自分ら教師に向けられる。運悪く非常識で理不尽な保護者に絡まれたらそれこそ教師生命をも絶たれかねない。面倒ごとに巻き込まれるのを恐れて介入することに二の足を踏むのではないか。学生に対する関心はどんどん薄れていき、そして本当に助けが必要な生徒にまで目を背けてしまう。

大人、しかも自分の教師に暴力を振るってなお、それに悪びれることなく事実を捻じ曲げて親に言いつけるその行為から男子生徒の悪賢い性格の一面を窺い知ることができる。単なるガキの悪ふざけで片づけられるようなことじゃない。

何もかも子供だからと、子供相手にムキになるなと。そういう人たちの呑気な態度や怠慢が学校いじめをエスカレートさせているし、少年犯罪の増加・凶悪化を招いている。

十歳の女の子が男児を25階から突き落とした事件があった。事件当日、一階に向かうエレベーターにはベビーカーに乗ってくれない男児とその子のおばあさん、例の女の子三人が乗っていた。エレベーターが1階で止まると、おばあさんはまずべビーカーを外に出したが、おばあさんが再びエレベーターに乗る前に扉が閉まってしまった。女の子と男児二人だけが取り残されたエレベーターの中で、男児は女の子に向かっていたずらっぽくあかんべえをした。家で母に手ひどく罵られて鬱憤が溜まっていたところ、女の子はそれをぶちまけてやるとばかりに男児の頬に何回も平手打ちをくらわし、狂気じみたように足で男児の腹や頭を蹴り続けた。そして25階に上っては男児を窓辺まで引きずり、泣きわめく男児にざまあみろと吐き捨て、25階の窓から突き落としたのだ。そして鼻歌を歌いながら何事もなかったように自分の家に戻ったという。その一部始終がエレベーターの監視カメラにぱっちり記録されていた。

七歳の女の子が同じ村の年下の男の子を井戸に突き落とす事件の画像がネットに流れていた。十数秒の画像の中で、女の子は男の子を抱えて井戸に投げ捨てた。男の子が泣きわめきながら井戸の入り口に縋りつくが、それを女の子が力ずくで無理やりはがして突き落とした。

当然、二人とも大した罪には問われなかった。相手が未成年者というだけで被害者家族は泣き寝入りするしかなかったのだ。

大人でもよほどのことがない限りこんな大それたことをやらかそうだなんてなかなか思いつかない。法に触れることを恐れてではなく、やっちゃいけないということを本能的に分かっていて、強い抵抗感を持っているからだ。

このような子供は性根から腐っている。後でどんな矯正教育を施そうが、更生なんて無理だ。

子供は宝であり国の未来だと?笑わせるな!こんな性根の悪い子供に国の未来を託せるか!社会に出たところで屑になるだけだ。

もちろん子供を大人と全く同じ扱いしろとまでは言わない。しかし、二度とこんなことを起こさせないためにはどうすべきか。何らかの対策を講じねばならない。ニュースで大々的に報道したところで、未成年者は何をしてもいいし、罪に問われないという犯罪意識を助長するだけだ。やはり厳罰化が一番有効のように思えてならない。

厳罰化は必要ないと主張する人がいるらしいが、それは他人事だから言えることであって、もし自分の身内だったら、子供は未熟だの、子供相手にムキになってはいけないだのと、聖人君子を気取ってきれいごとばかり並べられるはずがない。

少年非行の厳罰化は、少年犯罪の再犯の防止に繋がるのは言うまでもない。少年だから何をしてもいいというわけではないと、それ相応の罰を受けることになると思い知らせてやるのだ。

未成年者は犯罪を起こしても罪に問われることはない。これが知らず知らずのうちに保護者達の教育の怠慢を招いているのではないか。

責任の一端を担う保護者には損害賠償のほかに、子供が児童自立支援施設・少年院などに収容される間、矯正教育費として一定の費用を出させる。そして余暇の時に施設で何らかの形で手伝わせてもらう。

これは家庭教育の在り方に警鐘を鳴らしてくれるだろう。

子供は家畜じゃあるまいし、ただ飯を食わすだけでいいものではない。ましてや、何かあるたびに怒鳴りつけ、他の子と比べたり、暴力を振るうなどして、子供が健康な人格を形成できるはずがない。

愛情を降り注ぎ、子供とちゃんとコミュニケーションを取り、もっと自分の子供のことを分かってあげる。そんな中でこそ、子供は心身ともに健やかに育ってくれるし、何があった時に、親に心を開いて、信頼して相談を持ちかけることができる。