自殺する度胸はないが、人は殺せる

20代前半の男がマンションの高層階からレンガを投げ落として無差別殺人を図った末に無関係の女性を死に至らしめた。十数歳で学校を途中で止めたその男は、真面な仕事も見つからず、当然碌な稼ぎもないまま親からの仕送りでなんとか生活を維持してきたという。

事件が発生した数日前、男はなけなしの金を全部引き出して、家から離れた地方に飛行機で飛んでいき、1日単位で借りられるマンションに入居した。わずかな所持金を全部使い切ってしまうと、生きていけないと思った彼は、飛び降り自殺に思い至ったが、飛び降りる勇気がなく自分がいる30階から物を投げ落として人を殺し、死刑判決を受け、安楽死するという非常に間抜けで突飛な死に方を思いついた。

こうして男の無差別殺人計画は実施され、自分がいる30階のベランダから重いものを落としはじめた。最初の被害者は階下の屋台主で、死んではいないものの、肩や指、足など数箇所にわたる大けがを負ってしまった。その後、男が投げ落とした三本の缶コーラのうち一本が通りかかった女性の頭に弾んで落ち、幸い大事にはならなくて済んだようだ。二人とも被害を受けてから被害届を出していた。通報を受けて現場に駆けつけてきた警察が一応捜索したらしいが、犯人を見つかることはできなかったという。

死者が出るまで、犯行を諦める気にはなれなかったのだろう。数日後、男はまたレンガやら飲料水の瓶やらを落とし始めた。そしてとうとう死者を出してしまった。

事件当日の夜10時ごろ、夜中に小腹がすいて夜食を買いに出かけた20代後半の女性が運悪く男が投げ落としたレンガに当たり、病院に運ばれる途中で死亡したのだ。

卑怯極まりない男は自分の計画が達成したことを確認すると、警察署へ出頭して自首したという。そして後日の判決で死刑を言い渡された。

当然の結果ではある。だが、あまりすっきりした気分にはなれない。結局男の思惑通りになったわけだから。

確かに外部の人たちには知りえない事情というものが警察の内部にはあったのかもしれない。しかし、通報を受けた時点で、もっと真剣かつ入念に捜査に取り掛かっていれば悲劇は回避できたのではないか、そんなふうに思えてならない。もし最後に、男が自首しなかったら未解決事件という形で終わらせるつもりだったのか。そう警察に詰め寄ると、たとえ男が自首しなかったとしても全力を尽くして事件を解決すると言うだろう。それじゃ、どうして最初からそうしなかったのか。

そもそも被害届が二回も出されている時点でこれはもう偶然ではなく故意による悪質な犯罪行為と判断してやがて死者が出る恐れもあると捜査員の人数を増やして真剣に捜査に取り掛かるべきだったのだ。向かいの建物にカメラを設置するとか周囲に見張りをつけておくとか、やれることはいくらでもあったはずだ。落下物に付着している指紋を採取して指紋照合するという手もある。男は計十数回にもわたって物を落としていて、落ちた場所もある程度は限られている。それだけの数の凶器があればそこから同一人物のものと思われる指紋は容易に検出できたはずだ。その指紋は犯人のものと見てほぼ間違いないだろう。そして例のマンションに住んでいる人たちの指紋を採取して指紋照合を行う。上の階数から潰していけば案外手間暇かからずに犯人を割り出せたかもしれない。ましてやこれは事前に綿密な計画を立てて入念な準備をして行われたものではなく、突発的に及んだ犯行に過ぎない。犯人の弱みに付け入る隙は多々あったはずだ。更に警察が出動して大騒動になれば己の命を自ら絶つことさえもできない気の弱い男ならすぐ犯行を思いとどまった可能性も十分ある。当時通報を受けて行われた捜査が中途半端にうやむやに終わったせいでこんな結末になったんだ。警察の怠慢と無能さが招いた悲劇といえよう。

元々警察なんて税金を食い荒らすだけの税金泥棒であって、あてにならないと思っていたし信用もしていない。それが今回のことで警察に対する不信感は更に高まった。

事件後、加害者の過去の精神鑑定らしきものがその家族から提出されたらしい。しかしそれは、警察側の再検定により、事件当時の男の精神状態に異常はなく、完全責任能力ありと認定され、精神障害の主張は見事覆されたという。

犯行当時、加害者は23歳で、もう立派な大人であり、自分の行動にちゃんと責任を持てる年である。未成年ならともかく、本来ならば加害者家族までもが非難を受けるべきではない。ただでさえ自分の家族が事件を犯したというショックは大きい。更に止めてやれなかった自責の念、追い打ちをかける社会からのバッシング…被害者家族だけでなく、加害者家族もまた、生き地獄を強いられたであろうことは想像に難くない。そういう意味では加害者家族も被害者である。しかし、それはあくまで事件から目をそらすことなくちゃんと向き合おうとする人に限ってのことだ。

加害者家族がどういう心境で精神鑑定を提出したのか分からない。精神障害を偽装してまで罪から逃れさせてやるのが男のためと思ったのか、それともただ加害者家族というレッテルを貼られるのがいやだったのか、その重荷を背負わたくないがための行動なのか。理由はどうであれ、謝罪はおろか、精神的に疾患があると主張することで罪から逃れようとするような行為は、その目論見こそ見事打ち砕かれたものの、実に厚顔無恥で卑怯極まりない。

そんな家庭で育った人が真面なわけもなく、非常識になるのも頷ける。この親にしてこの子ありとはよく言ったものだ。

その先、厳しい社会的制裁が待ち受けているだろうことは想像に難くない。

殺された女性は28歳。法科大学院修了後、ある国営企業で法務の仕事をしていたらしい。10歳年上の姉が一人、付き合っている彼氏とは来年結婚する予定だったそうだ。

今回の判決は、現在の法律の範囲内では妥当なものかもしれない。死刑、つまり加害者の命を持って被害者の命を償う。しかし、命は平等だとかよく言うけれども、ちゃんと働いて立派に社会貢献する人と、大の大人になってもなお働きもせず親の脛をかじり、人の命を軽んじるような人の命に同等の価値があると言えるのだろうか。

第一、男は人一人の命を奪っただけではない。残された被害者遺族に大きな喪失感を与え、心にぽっかり穴を空いてしまった。そして行き場のない悲しみと怒りで、その穴は延々と埋まることがないかもしれない。

更に、世の中には社会に溶け込めず、孤立や不満、更に憎しみを感じる人が少なからずいる。どうせ死ぬなら自らの手で命を絶つことなく、他人を道連れにして社会に復讐してやろうと思うような模倣犯が出てこないとも限らない。

仮にお金を借りたとしても返す時にはちゃんと利息をつけねばならない。人の命は金銭で換算できるものではないが、これらすべての罪が、畜生にも劣る奴一人の命によって償いきれるわけがない。

これはあくまでも可能性の話だが、懲役プラス死刑というのもありなんじゃないのか。これほど悪質な犯罪を犯すような人間が自分の行為を反省するとはとても思えないが、少なくとも安楽死できると思い込んでいたことがいかに愚かで甘かったのかを思い知らされることはできる。そして懲役を終えた先に待ち構えているのは釈放ではなく死であるという絶望の闇の中でもがき苦しみながらやがて処刑される。

この結末なら遺族の方ももっと前向きな気持ちで受け止めることができるのではないか。そして一日も早く苦痛から解放されることも、社会への信頼回復も期待できる。更に「安易」な死を求めて似たような考えを持つ人を二度と出さないための示しにもなる。

人生を生きていく上で、どんなに真面目に頑張っても努力が報われないことも、運が物を言う時だってある。しかし、自分が不幸だからと言って無関係の人を巻き込んでいいはずがない。それが他人を傷つける理由にはなれない。

軟弱で甲斐性がなくても、無知無能であったってかまわない。誰かの役に立て、社会貢献しろとまでは言わない。だがせめて、他人に迷惑をかけることだけは止めよう。それは人として最低限守らねばならないもので、ましてや人の命を奪うなど言語道断だ。